旅河華芳の鯉の絵

鶴岡市出身の日本画家

耕美堂では、これまでも数点、華芳の屏風や額の仕立て直しをしてきたが、鯉の掛け軸は初めて。

絹本に書かれていたため汚れが落ちにくく、あまりしつこく洗うと顔料まで落ちてしまうため無理はせずここまででやめておいた。

洗うまでは気がつかなかったが、恋の背びれなどは金泥を使ってあり、鮮やかに甦った!

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以下、旅河 華芳の詳細


旅河 華芳たびかわ かほう1891(明治24) - 1957(昭和32) 本名:旅河 五郎
1891(明治24)年 7月22日 鶴岡町新斎部万年橋(現 鶴岡市新海町万年橋)近くに生まれる。
  幼少より絵を好み、京都で木島桜谷に師事し、円山四条派の画風を学ぶ。
1907(明治40)年 念珠関第一尋常高等小学校(現 鶴岡市立鼠ヶ関小学校)の准訓導心得として勤務、その後画業に専念した。
  教育絵画展覧会には1931(昭和 6)年の第18回展、第19回展、第22回展-第26回展に出品、毎回大作を発表し在郷画家として活躍した。
1949(昭和24)年 真島北光、金子八畝、川村智保、伊藤喜久井、佐藤晃逢、佐藤竜巳とともに日本画団体 丹青社を設立、この会は第3回展まで開催された。
1955(昭和30)年 丹青社は洋画中心だった美術団体 白甕社へ合流することとなり、白甕社美術展に発表の場を移す。
1957(昭和32)年 8月26日 逝去、鶴岡市の龍覚寺に葬られる。
  花鳥画や山水画など繊細で色彩豊かな写実画を多く残した。白甕社会員。

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